
2009年05月08日
遅い春
サンタフェは標高1,500メーター
ショートパンツでダラスから運転して行ったら
夜は冷え込みが・・・・・
直ぐに長ズボンと長袖セーターをはしょって
夕食に。

他所の家の庭先に小さいチューリップ。
標高2,100メーターのインデイアン居住区 タオス プエブロで見た
タンポポ。

雪解けの水は冷たい。
ショートパンツでダラスから運転して行ったら
夜は冷え込みが・・・・・
直ぐに長ズボンと長袖セーターをはしょって
夕食に。
他所の家の庭先に小さいチューリップ。
標高2,100メーターのインデイアン居住区 タオス プエブロで見た
タンポポ。
雪解けの水は冷たい。
タグ :ゴールデンウイーク
2009年05月08日
グラミー賞 受賞
タオス プエブロのあるお店に入ると
優しい音色のBGMが聞こえて来る
「この音楽は?」と店の人に聞くと
「Johnny Whitehorse. ここの出身さ。」
「CDある?」
「隣の店にあるよ。」
サンタフェのコンドでCDを入れると
今まで聞いた事が無い程、やすらぐ。
癒しの音楽。
自然、人間、動物そして神々の世界が
タグ :ゴールデンウイーク
2009年05月08日
世界遺産 タオス プエブロ
日本からのOさんご夫婦を無理やり車に押し込め
10時間、目的地のサンタフェに着いてから
ナビが誤動作と宿泊するコンド(貸しアパート)の住所と
家の入口がもう一本通り越した通りから入るのを見つけ
るまで40分掛かり参った。
「晴れ男」を自称するOさん。
あいにくとサンタフェ滞在期間は雨模様の予想。
次の日向かったのは、約120キロ北に上がった所にある
世界遺産 タオス プエブロ
3月に来た時は閉まっていて訪れる事が出来なかった。
昨日誤動作したナビは反省し、正確に未歩道の細い道を進むように
命令する。

プエブロの入口。
標高2,100メーター。
入場料 $10と 写真撮影の許可 $5を払うとプエブロの地図と案内をくれる。
プエブロ(Pueblo)の意味は町とか集落という意味で
アメリカ インデイアンのタオス族が1,000年に渡り居住している集落。
インデイアン独自の時代、スペインの統治そして1800年代にアメリカ合
衆国に組み入れらる。
プエブロの住居には約150人が住み、彼らの統治する9,900エーカーには
近代的な建物に1,900人が生活をしている。

この住居は西暦1,000年から1,450年の間に建てられ、継続して
現在も住居としてタオス族が住んでいる最古のアメリカ インデアンの住宅。


(同じ建物の拡大写真)
5階の高層住宅。
建物の材料は土に水とわらを混ぜた粘土を使用し、
木材の柱で建物を支えている。
スペインがメキシコを植民地にしてニューメキシコを統治する以前に建てられた
建物である。そして今でも同じように生活が営なまわれているとして
ユネスコの世界遺産とアメリカの歴史的建物に指定されている。
インデイアン アートのお土産のお店が何軒もドアーを開けている。
Oさん夫婦はプエブロに入ると早速お店に足を入れる。
鹿革をなめし弓矢の矢袋とか、ドラムとかアーテイストが店で作成している。
Oさんはドラムを日本に持って行きたいとしきりに奥さんに伝えるが
旅行カバンに収まらないと言い聞かされてる。
インデイアンのアーテイストは主に
インデイアン ジュエリー
土器
革
革に画かれた絵
(絵単一ではなく、例えばドラムに画かれたりしている。)
羊の毛の織物(ナバホ族の織物が有名)
を多くのお店で制作して直接販売している。
家の前には幾つかの土釜がある。

多分この釜で土器を焼く。
晴れ男が来たはずだが、空には雲が垂れ込め今にも雨が振り出しそうになる。

プエブロの中央を流れる小川。

最後に入ったお店には世界中の紙幣が飾ってあった。
お店の人が「何人?」と聞く。
「日本人」と言うと
「わたしのお母さんは日本でインデイアン ジュエリーの教室を
開いていた事があるよ。」
と指をさす。
そこには日本の雑誌に彼女(実は最初男性だと思っていた)のお母さん
が載っていた。
彼女の後ろのお札が貼り付けている壁に彼女と日本人のアクター(と彼女が言う)
とのツーショットが飾ってあった。
「この人誰だか分かる?」
「う・・・・・・・・、 Oさん 誰だかわかりますか?」
「・・・・・・・・、 分からないナー」
お店の彼女は少しがっかりした様子。

入口はSan Geronimoカソリック教会。
もともと1619年に建てられた。
1847年にメキシコとアメリカ合衆国の戦争で壊され、1850年に再建された教会。
タオスの人にとって古来の宗教とカソリックが共存している。
インデイアン古来の文化、スペイン、メキシコそしてアメリカ文化が混ざった
ユニークなプエブロだった。
タオス プエブロのWEB サイトは
http://www.taospueblo.com/
10時間、目的地のサンタフェに着いてから
ナビが誤動作と宿泊するコンド(貸しアパート)の住所と
家の入口がもう一本通り越した通りから入るのを見つけ
るまで40分掛かり参った。
「晴れ男」を自称するOさん。
あいにくとサンタフェ滞在期間は雨模様の予想。
次の日向かったのは、約120キロ北に上がった所にある
世界遺産 タオス プエブロ
3月に来た時は閉まっていて訪れる事が出来なかった。
昨日誤動作したナビは反省し、正確に未歩道の細い道を進むように
命令する。
プエブロの入口。
標高2,100メーター。
入場料 $10と 写真撮影の許可 $5を払うとプエブロの地図と案内をくれる。
プエブロ(Pueblo)の意味は町とか集落という意味で
アメリカ インデイアンのタオス族が1,000年に渡り居住している集落。
インデイアン独自の時代、スペインの統治そして1800年代にアメリカ合
衆国に組み入れらる。
プエブロの住居には約150人が住み、彼らの統治する9,900エーカーには
近代的な建物に1,900人が生活をしている。
この住居は西暦1,000年から1,450年の間に建てられ、継続して
現在も住居としてタオス族が住んでいる最古のアメリカ インデアンの住宅。
(同じ建物の拡大写真)
5階の高層住宅。
建物の材料は土に水とわらを混ぜた粘土を使用し、
木材の柱で建物を支えている。
スペインがメキシコを植民地にしてニューメキシコを統治する以前に建てられた
建物である。そして今でも同じように生活が営なまわれているとして
ユネスコの世界遺産とアメリカの歴史的建物に指定されている。
インデイアン アートのお土産のお店が何軒もドアーを開けている。
Oさん夫婦はプエブロに入ると早速お店に足を入れる。
鹿革をなめし弓矢の矢袋とか、ドラムとかアーテイストが店で作成している。
Oさんはドラムを日本に持って行きたいとしきりに奥さんに伝えるが
旅行カバンに収まらないと言い聞かされてる。
インデイアンのアーテイストは主に
インデイアン ジュエリー
土器
革
革に画かれた絵
(絵単一ではなく、例えばドラムに画かれたりしている。)
羊の毛の織物(ナバホ族の織物が有名)
を多くのお店で制作して直接販売している。
家の前には幾つかの土釜がある。
多分この釜で土器を焼く。
晴れ男が来たはずだが、空には雲が垂れ込め今にも雨が振り出しそうになる。
プエブロの中央を流れる小川。
最後に入ったお店には世界中の紙幣が飾ってあった。
お店の人が「何人?」と聞く。
「日本人」と言うと
「わたしのお母さんは日本でインデイアン ジュエリーの教室を
開いていた事があるよ。」
と指をさす。
そこには日本の雑誌に彼女(実は最初男性だと思っていた)のお母さん
が載っていた。
彼女の後ろのお札が貼り付けている壁に彼女と日本人のアクター(と彼女が言う)
とのツーショットが飾ってあった。
「この人誰だか分かる?」
「う・・・・・・・・、 Oさん 誰だかわかりますか?」
「・・・・・・・・、 分からないナー」
お店の彼女は少しがっかりした様子。
入口はSan Geronimoカソリック教会。
もともと1619年に建てられた。
1847年にメキシコとアメリカ合衆国の戦争で壊され、1850年に再建された教会。
タオスの人にとって古来の宗教とカソリックが共存している。
インデイアン古来の文化、スペイン、メキシコそしてアメリカ文化が混ざった
ユニークなプエブロだった。
タオス プエブロのWEB サイトは
http://www.taospueblo.com/